サイズ:200cc
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

マイセンに 太湖石にインドの花・鳥文があり それをヘレンド流に写したもの

太湖石とは、中国蘇州 太湖周辺の丘陵に産する穴の多い複雑な形の奇石。
太湖付近の丘や湖に浮かぶ島は 青白い石灰岩でできているが、かつて内海だった太湖の水による 長年の侵食によって岩 には多くの穴が開き、複雑な形と化した。
太湖石は 蘇州はじめ 中国各地の庭園で 鑑賞や瞑想などのために置かれている。北宋末期の第8代徽宗皇帝は人民を徴用して、太湖石などを都に運ばせた。
これを、花石綱(庭園を造るための珍花・名木・奇石などのこと)という。(鳥の下の石)

マンダリン (官僚) とは、明朝から清朝の中国や ベトナムの官僚を、西洋人が呼んだ語である。
中国では、隋王朝から科挙が実施されており、その競争は熾烈を極め 及第が、歴代中華帝国にて、低い出自から国務大臣級の地位を手にする唯一の手段だからである。受験者たちは、幼少の頃から科挙の試験科目(四書五経、詩作や歴史)を頭に詰め込んだ。
及第して官僚になった者たちは、科挙の試験科目に凝り固まって特権意識を振りかざし、民衆の生活を軽んじた。これは歴代王朝において何度も問題になって来た。
このような歴史からか、西洋では、公務員試験に合格する為に填め込み教育を受けている者や、時代遅れの発想を振りかざす官僚を諷刺して「マンダリン」と呼ぶ。

1864年閉窯の大先輩ウィーン窯の 受け入れは 絵のみ (金緑彩パセリ文, ワインリーフetc.) で シェープは デコラティブで箔付けを旨とする ヘレンドにあっては 奇を衒わぬ機能性を 旨とする ウィーンとは 相容れず その影響は見られません。

4世紀後半にはフン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。
フン族はその後アッティラの時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に収めたが、アッティラが40歳で死亡した後、後継者不在によりフン族は分裂。
結果的に6世紀にはアヴァール(突厥に敗れた柔然)の侵入を許す。その後、8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀にはウラル山脈を起源とするマジャル人が移住してきた。
現ハンガリー第三共和国は マジャル人の896年をもって建国としている。いかに調べても マジャル人がハンガリーに移住してきた頃で 建国とする根拠が判らないのです。
当時 ハンガリーでは最大でも マジャル人48.1%で過半数に及んでいない。10世紀末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世(マジャル人の大首長)は、西暦1000年に本格的にキリスト教(カトリック)に改宗し、ローマ教皇からハンガリー王の戴冠を受け、西ヨーロッパのカトリック諸王国の一員であるハンガリー王国(アールパード朝)が成立した。
現ハンガリー第三共和国のヘレンドは 1996年を 建国1100年記念年として 清の花籠と カーニバルフィギュアを発表しました。)マイセンのシノワズリのコピーから やがて オリジナリティー・シノワズリへの発展は フン族の末裔の 血がなせる業でしょう。!
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